パリ2024オリンピックで日本人初・決勝戦に進んだ陸上選手、村竹ラシッド選手について。
”カッコよさ”
”愛されキャラ”
両方を併せ持つ彼ですが、実はハーフとの噂が。
そこで、今回は村竹ラシッド選手の両親について、調べていきますね!
村竹ラシッドのプロフィール

まずは簡単なプロフィールから。
- 【氏名】村竹 ラシッド(むらたけ らしっど)
- 【生年月日】2002年2月6日
(23歳 2025年時点) - 【出身地】千葉県松戸市
- 【所属】JAL
- 【日本記録保持種目】110mハードル
陸上選手としての主な成績は、
- パリ2024オリンピック
日本初 決勝進出 5位入賞
- 2025年アジア選手権
金メダル獲得
- 2025年 世界陸上東京大会
5位入賞
2025年9月に行われた世界陸上では、ご本人の悔し涙を流すインタビューが報道。
日本中が感動の渦に巻き込まれました。⇩⇩
【#東京世界陸上 】
— TBS 陸上 (@athleteboo) September 16, 2025
✅男子110mハードル 決勝
🇯🇵#村竹ラシッド のインタビューです!!!
🗣「沢山の人に見守られて1人のアスリートとして本当に幸せです。だからこそメダル獲ってみんなと一緒に喜びたかった。」
📺TBS系 生中継 pic.twitter.com/KnaKIgCR0N
村竹ラシッド:両親はどんな人?
ネットで村竹ラシッド選手について検索すると、次のようなワードが自動表示されます。

2024年に世界大会で初のファイナリストとなった村竹ラシッド選手。
両親がどんな方なのか、気になって調べる方が多いようですね。
ということで、ご両親情報を詳しく調べていきますね⇩⇩
父親はトーゴ・母親は日本人のハーフ

村竹ラシッド選手は、
『トーゴ共和国出身の父』
『日本人の母』
の間に生まれたハーフの陸上選手です。
父親の出身地であるトーゴ共和国とは、西アフリカに位置する小さな国。
人口は885万人ほどと言われています。(大阪府と同じくらいの人口)

父親は元陸上選手?
ネット上では、
『父親は元陸上選手で跳躍種目で活躍していた』
との情報がありますが。
正式な情報ではないため、事実かどうかは不明。
です。
ただし、村竹ラシッド選手は
”強いスプリント力”
”高い跳躍力”
があることから、
”父親がスポーツ経験者である可能性が高い”
とも言われています。
その他、父親の現在の職業についても調査してみたところ、
現在の父親の職業は不明。
父親に関する氏名・職業その他の個人的な情報は、明らかにされていないようです。
”村竹”の姓は母親から?
「村竹」の名字は、日本人である母親の姓を譲り受けたものだと言われています。
”村竹”という名字は中国地方によくあるそうで、

母親は広島や島根の出身では?
との情報も。
ただ、これも憶測レベルの話。
母親の出身地・名前等の情報は公開されていません。
ご両親の画像に関しても、ネット上では見つけることができませんでした。
決戦前の母親とのエピソード
村竹ラシッド選手のご家族についての発言やインタビュー記事など、公式なものは見つかっていません。
ご家族に関するプライベートは公表しないスタンスなのかも?しれません。
ただ、パリ2024オリンピックには
『母親が現地まで応援に来ていた』
と、ご本人がインタビューで語っています。


アップ時は、これまでにない緊張と憂鬱で、絶望的な気持ちだったという村竹ラシッド選手。
母親からのLINEの言葉で、気持ちが軽くなったとのこと。
そんな、決戦前の母親とのエピソード記事はこちら⇩⇩
あと現地に母が来ていたんですけど、LINEで「顔が怖いぞ」と連絡が来て・・・。
引用元:https://www.tokyoforward2025.metro.tokyo.lg.jp/
「もっと楽しんで、笑って」
と言われました。せっかくの舞台ですし、
「失うものは何もないから思い切り走ろう」
とポジティブな思考に変えられた感じです。
大舞台を前に、母親の何気ない励ましが、心の支えになったのは確かなようですね!
強さの背景は、のびのび育った家庭環境にあり?


小さい頃は感情的で泣き虫だったという村竹ラシッド選手。
とにかく負けず嫌いで、友達とゲームしていても負けると泣いてしまったとか。
学校でもよく先生に怒られていたそう。
廊下を走って怒られ、掃除を真面目にやっていなくて怒られ、
やんちゃな少年時代を過ごしたようです。
先生に勧められて陸上へ
村竹ラシッド選手が陸上を始めたのは小学校5年生の時。


松戸第一中学校で本格的にハードル走に取り組むようになったとのこと。
当時、100mや走幅跳を希望する人が多く、ハードル走は全然いなかったそう。
『もしかしたら、100mや走幅跳より戦えるかも?』
と思ったのがハードル走を始めたきっかけだったとか。
高校の進学先は、自宅から通える距離だったのと、国際教養科で学びたいカリキュラムがあることから松戸国際高校を選びました。
引用元:https://prtimes.jp/
実は、松戸一中時代のトレーニングがきつくて、高校では陸上を続ける考えはありませんでした
⇧⇧本人が後にこのようにインタビューで語っているように、
”陸上の強豪校で上を目指す”
等の強い思いはもともとなかったようです。
ご両親としても、本人の意思・やりたいことを尊重する教育方針だったのかもしれませんね!
陸上と勉強の両立
中学では陸上部の激しいトレーニングに耐え抜き、
高校 ➡ 松戸国際高等学校(偏差値60)
大学 ➡ 順天堂大学スポーツ健康科学部(偏差値42.5~)
に進学。
スポーツだけでなく、学業にも力を入れてきたことがうかがえます。
また、小さい頃は
『今の生活が楽しければいい!』
という考え方で、将来の夢もクルクル変わっていたという村竹ラシッド選手。
”自分で自由に進路を選び、自然体で成長してきた家庭環境”
が、彼の強い精神力を形成したのかもしれません。
以上、村竹ラシッドの両親 についてご紹介しました。
村竹ラシッド選手のますますのご活躍を期待しています!








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